無宗教の場合、仏壇や位牌はどうすれば良いのでしょう?

日本人は「我が家は無宗教です」という方が多いようです。他国のように宗教を巡るトラブルが少ないのはなによりなことですが、問題は親族が亡くなった時の供養の仕方に困ること。無宗教の場合、仏壇や位牌はどうするのでしょうか。不要なのか、それともやっぱり仏壇や位牌は用意すべきなの?「私はキリスト教徒です」とおっしゃる方の家で仏壇を見たことはありませんが、自宅に仏壇があるのに「うちは無宗教です」と言い張る人はたまにいますよね。それって実は、かなり矛盾しているかも?無宗教用の仏壇はありません「仏壇=亡くなった方の魂を供養するためのもの」という認識が定着している感がありますが、正式には違います。仏壇は、言ってみれば小さなお寺。亡くなった方というよりは仏様を祀る場所ですから、仏壇があるということは無宗教ではなく仏教を信仰している家だと解釈できるわけです。宗派によって仏壇や仏具の選び方、位牌の作り方は違ったりしますが、少なくとも「無宗教用の仏壇・位牌」は存在しません。ただし、無宗教であっても仏壇を購入してそこに亡くなった方を祀るというのは個人の自由です。最近はデザイン性重視のオシャレな仏壇も多いので、「あ~、こういうのイイな」とフィーリングが合うものに出会えたならそれを購入して供養のステージとするのもアリ!位牌も、俗名のままで作ってOK同じように、無宗教であっても位牌を作ることは可能です。仏壇や位牌はお寺を通じて買うようなものではなく、個人が自由にネット通販で購入することが可能。ですから、別に誰かの許可を取らなければ買えないようなものではないので、無宗教でもまるで仏教徒のようなスタイルで故人を供養しても良いんです。ただ、無宗教でお寺さんとつながりがないということだと、戒名をもらえませんよね。その場合は、位牌も俗名でOK。実際、供養のカタチが多様化している昨今では、俗名で位牌を作る方も珍しくないそうです。正直なところ、私も位牌は戒名ではなくて俗名でいいんじゃないかな?と思ったり。形式的には仏教徒でも普段はほぼ無宗教なわけですから、戒名に対してあまりありがたみも感じられませんしね。なにより、故人が本当に遠くに行ってしまったんだと現実を突きつけられて、位牌を見る度に辛くなります。あまり形式にとらわれず、残された家族がその死をポジティブに受け入れられるようなスタイルで供養を続けていけば、それが一番なんじゃないでしょうか。無宗教という名の「ズボラ」?ネットの掲示板などを見ていると、「無宗教だから」を理由に仏壇も位牌も作らない、法要もしないというのは「無宗教という名のズボラだ!」と指摘する声もあります。確かに、宗教的なルールに従って供養するとあれこれとにかくお金がかかりますからね。費用を節約するために、あえて「無宗教です」というスタンスを貫いている方も多いのかもしれません。ですが、大事なのは故人を想う気持ちです。仏壇を買わなくても。俗名をもらわずに位牌を作ったとしても。盛大な法要を行わなくても。その人のことを時々は思い出して手を合わせることを続けていけるなら、別にそれで問題ないのでは?豪華な仏壇や位牌、お金をかけた法要・・・そういったものは全て、残された人々の自己満足とも捉えられないでしょうか。私だったら、墓も仏壇も位牌もなくても、時々誰かが自分を思い出して笑ってくれたらそれで十分。周りになんと言われようが、無宗教ならば無宗教なりに自分らしい供養のスタイルを貫きたいなと思いました。
Source: 葬儀のニュース